愛ゆえの弱さ

 使徒パウロは地中海世界を股にかけて福音のために大活動をしたのですが,その彼に弱いところがあって,それがキリスト信仰によって強められたという事実があります.

その弱さは,第1にパウロ自身の体に病があったこと(Ⅱコリ12:7Ⅱコリ12:7 啓示があまり素晴らしいので、わたしが高ぶらないよう肉に刺が与えられました。それはわたしが高ぶらないよう打つためのサタンの使いです。 ),第2に迫害などによって彼が苦しめられたこと(Ⅰコリ2:3Ⅰコリ2:3 わたしは弱さと恐れと多くのおののきのうちに、あなた方のところへ行きました。 )によるのですが,第3に彼がすべての教会のために愛の労苦を重ね,その心配が日々迫ったので彼が弱った,ということがあります.パウロは迫害や旅の困難を数え上げたあとでこのことに触れ,だれかが弱ればわたしも弱らないでいられようか,といっています(Ⅱコリ11:28以下Ⅱコリ11:28以下 28このような外からのことのほかに、日ごと迫りくること、すべての集まりの心づかいがあります。29だれが弱ってわたしが弱らないでしょうか。だれがつまずいて、わたしが燃え立たないでしょうか。 ).

 これはパウロが世話好きであったり愛の努力家であったので弱ったというのではなく,ここに挙げた3つの弱さには互いに関係があって,その根底に深いものがあります.

 すなわち,パウロが弱いときにキリストが弱い奴隷の姿で十字架についてくださったことによって救われ,彼が復活されたことによって強められたよろこびを人に伝えますと,信仰に目ざめる人がありますが,それとともに迫害が増します.また,弱い自分が救われたよろこびは自我の中にとどまっていないで,弱っている他の人への奉仕へと向かうものです.それは人への愛ゆえに弱くなって十字架につかれたキリストからの導きです.人間はキリストのように本当に弱くはなれないのですが,その罪はキリストゆえにゆるされます.このように,愛は弱めますが,愛を受けた人が強められ,そこに真の連帯と相互扶助の原動力が増して,すべての人が強められる神の国の面影が示されるといえましょう.