宗教とは無関係な信仰生活 |
日曜の集りの感話会や聖書の講習会その他の機会に直接耳にし,あるいは来信によって知らされるところによりますと,われらの信仰の友が罪のゆるしの福音へと導かれた動機や誘因はいろいろです.既成宗教の義務や負担に堪えられなくなった人,政治的社会的活動と信仰とが混同して生活が乱された人,レジャー化した礼拝や行事に霊の空虚さが満たされなかった人などが,聖書の研究によって救いの真理に肌で触れえた場合がしばしばあります. それとともに,宗教とは無関係であった人が直接聖書を学んで,魂が意識的あるいは無意識的に求めていたものを示され,新しい気持ちで生活の指導原理を見出した場合もたくさんあります.日本人の精神性や倫理感覚だけではよろこびがありませんが,罪のゆるしの福音がそれらを生かしてよろこびで満たしてくれるのです. 平信徒の集りでは経済的な負担も軽く,交わりは淡々たるうちにも真実性と永続性があり,困難や病気になった人には主にある友情が注がれます. 自らの罪に敏感になるとともに社会悪に対しても批判力が養われ,他の人々の受ける苦しみを避けることもできます. そして,このすばらしい恩恵を周囲の人々にも次の世代にも伝えようという意欲が義務でなくよろこびとして与えられてきます. 学問的にもわれらの行き方が東洋的な風土に根を下ろし実を結ぶ方向であることが説明できます.謙虚に,感謝をもって前進しましょう. |