愛の力

 ここにある金額のもの,例えば一万円札があるとします.それが病と貧しさに苦しむ友人に与えられて,医療や栄養その他に適当に使われ,その友人が健康を回復して働けるようになりますと,何十万円何百万円という金額,さらに額ではあらわせない力になります.たとえ病がなおらなくても,愛のわざは隠れてはいません.周囲の人にもいつか何か働きかけるものです.

 逆に,一万円札が自分の欲望を満たすために使われて,健康をそこねて医療が必要になり,働けない月日を送りますと,それはマイナスの何十万円何百万円になります.そして周囲の者にも莫大な損害をかけてしまいます.方向は死です.

これはいろいろな形でわれらの周囲に起っていることですが,イエスが“与えるのは受けるよりさいわい”(使徒20:35。使徒20:35 わたしはすべてについてあなた方に示しましたが、このように働いて、弱いものを助けるべきです。そして、主イエス自らがいわれた、受けるよりも与えるがさいわい、というおことばを思い出すべきです」と。 )とか,“宝を天に積め”(マタ6:20マタ6:20 あなた方のために宝を天につめ。そこではしみも虫も損なわず、盗人が入り込んで取らない )といわれるのも,空理空論ではなくて,具体的に地上で起っていることから理解できると思います.

ことは経済に限らず,精神と肉体とを損うようなひどい目にあったときに,一方の頬を打たれたらもう一方をも向けよ(マタ5:39マタ5:39 しかしわたしはあなた方にいう、悪者にさからうな。あなたの右の頬を打つものには、ほかの頬をも向けよ。 )という教えに従うと大きなさいわいが恵まれます.自分の心にだけでなく相手との間に真の平和がおとずれて,天来の人間関係が生まれるからです.

 究極は人の罪のために自ら十字架について下さった神の子によって示される愛の問題です.愛が価値観を変え,すべてのものの価値を増し,死すべきものを生かすという新しい創造観に導いてくれるのです.聖書に親しむものは日常茶飯事のうちに愛の力を見る目を与えられると思います.