紙の聖餐式

 ドイツのある新約学の教授がモントリオールでの信仰秩序会議の席上,ローマ・カトリックとギリシア正教の人々を含む数十名の前で,第2次大戦従軍中の体験として次のようなことを話していました,塹ごうの中で,降りそそぐ砲弾の破片に死が近いことを予感した数名の戦友とともに,牧師の資格のある彼が聖餐式を司り,パンもぶどう酒もなかったので一片の紙を人数に切って分け,キリストの体と血にあずかる感謝をともにした,ということです.

 その席でカトリックの人も正教の人も感銘を受け,だれもそれが聖餐式であることに異議を申し立てませんでした.しかし,これは戦争中で,緊急の状況の中でなされたことなので,平時にはそれぞれの教会の方式がいいという人が多数でした.その時,わたくしは牧師という一定の資格は不必要なこと,紙も何もなしで感謝の祈りでキリストの体と血にあずかりうることを主張しましたが,それにも反論はありませんでした.そればかりか,愛こそ真の礼拝です,といってわたくしに握手を求める人もありました.

 幼児から目に見える形の儀式に慣れた人の気持ちを理解することはゆるされるでしょうが,儀式がなければいけないというのは律法主義です.人的物的な費用のかからないところに貧しいものの救いの道が開かれている,という真理は動きません.そして戦争はなくても,病気や事故など緊急の事態が常に起こることを忘れますまい.ただひとり病床に苦しんでいても,そこでそのままキリストの救いにあずかりうるという恩恵を感謝しましょう.