マイナスの受容

 厳粛な信仰生活を遊戯にたとえることはできませんが,ひとつの説明として許されるならば,と思うことがあります.幼少のころ覚えたトランプの仕方の中で,プラスが多くてマイナスが少ないのが勝ちという普通のこととともに,マイナスを全部そろえるとそれがプラスとして勘定されて勝つというルールがあったことがこのごろしきりに思い出されるのです.

 多くの人間がプラスを求める欲望によって動いているので,欲望と欲望が衝突して争いが起こり,互いに傷ついていることは歴史と現実とが示すとおりです,その欲望を圧える禁欲主義があり,欲望によって起こる弊害を規制する法律も発達しました.しかしいずれも人間のわざですから究極的な解決は与えられません.

 ここで,別の世界があることに着目しましょう.ナザレのイエスは貧しい人や病者など神からのろわれたときめつけられたものを助けてマイナスの生涯を送り,ついに罪あるもののために血を流してマイナスを全うした方です.その彼が墓の中に閉じこめておかれず,復活して栄光の主となられたというおとずれは,完全なマイナスの勝利といえます.それは,われらがマイナスをそろえなくても彼が皆そろえてくださったからだいじょうぶという福音につながります.そして,自分で努力してマイナスをかせがなくてもいいこと,自分の思いもよらぬ時に,思いもよらぬ形でマイナスを持たされて苦しむときに,それこそ彼のマイナスに参与する恩恵であるという救いの根本が示されるのです.日ごとのマイナスをわれらは感謝の姿勢をもって受けとめようではありませんか.