停年

 この春東京大学を停年で退職いたします.1950年の秋に帰朝してから足かけ26年勤めました.13年近く外国にいましたからその倍の期間が過ぎたことになります.戦中ドイツにいたころは空襲や栄養失調に悩まされましたが,さいわい中立国のスイスに移れまして,戦後も数年勉強できました.しかし大きな力に引かれて帰ったのでした.とにも角にも戦時を切り抜けえた感謝にあふれつつ,すべての災いが福音のないところに始まることを知りまして,若い同胞とともに真理を探求する意欲に満たされていたのが昨日のようです.

 それから4分の1世紀たちまして,停年にたどりつきますと,戦時を切り抜けえたときのような感謝を覚えます.弱い肉体ですが,風邪と歯痛のほか病気らしい病気もせず,弱い霊魂も同じ信仰の友の祈りに支えられてここまで来ました.周囲にいろいろ無理解なものがいまして,公私ともに予期しない形で前後左右上下からこづかれましたけれども,そのたびに不思議な道が開かれるのでした.

 学業を捨てようとしましたときに留学の機会が与えられて新しい形で学問に専心しえましたが,この際も新しい気持で帰朝以来おくれがちであった研究に打ち込みたく思います.いろいろ好意あるお招きを受けましたが,日本語で同胞とともに真理を学ぶよろこびは失いたくありません.計画は山ほどあります.

どんな障害が待っているかわかりませんが,御子の十字架のゆえにすべての罪をゆるし,なくてならぬものを備えてくださった父なる神に頼り,パウロのいうように“後のものを忘れ,前のものへと手を差し伸べて”(ピリ3:13ピリ3:13 兄弟よ、わたし自身まだ捕えられきったと思ってはいません。ことはただひとつです。すなわち、後のものを忘れ、前のものへと手を差し伸べ、 )希望をもって進みたく思います.