憐れみとうらやみ

 ヨーロッパに“憐れまれるよりうらやまれるがまし”という諺があります.万事うまく行ってだれからもうらやましがられるほうが,失敗つづきで気の毒がられるよりはよいという俗っぽい考えの表現です.これについて次のことがいえます――

第1に,イエスの教えに貧者や病人など憐れまれる人がさいわいであって,神の国はそのような人のために備えられているというのがあります(マタ5:1以下マタ5:1以下 <さいわいな人々>  1群衆がお目にとまったので彼は山に上られた。彼がすわられると弟子たちがみもとに来た。2そこで口を開いて彼らを教えられた、いわく、
 3「さいわいなのは霊に貧しい人々、
  天国は彼らのものだから。
 4さいわいなのは悲しむ人々、
  彼らは慰められようから。
 5さいわいなのはくだかれた人々、
  彼らは地を継ごうから。
 6さいわいなのは義に飢え渇く人々、
  彼らは満ち足らわされようから。
 7さいわいなのはあわれみの人々、
  彼らはあわれまれようから。
 8さいわいなのは心の清い人々、
  彼らは神を見ようから。
 9さいわいなのは平和をつくる人々、
  彼らは神の子と呼ばれようから。
 10さいわいなのは義のゆえに迫害される人々、
  天国は彼らのものであるから。
 11人々がわたしゆえにあなた方をののしり、迫害し、うそをついてあらゆる悪口をいうとき、あなた方はさいわいである。12よろこび、歓呼しなさい、あなた方の褒美が天にたくさんあるから。このように人々はあなた方より前の預言者たちをも迫害したのである。
など ).それはこの世での不幸が来世で幸福になるという因果応報をいうのではなく,この世で苦しむ人のために愛の奉仕をして自らも苦しんだ救い主のことばです.このさいわいは苦しみの中に神にあわれまれ,また人が互いにあわれむ低く隠れたところで体験しうるものです.深い意味で同病相あわれむ境地です.

 第2に,こうした状況にいますと,今までの苦しみも減り,苦しみの中にも救い主を中心に同信の友と共に生きるよろこびがあり,貧しさの中に今までになかった感謝を抱く道が開け,弱い体に平安が与えられて生きながらえることもできますので,他の人々からうらやましがられる場合もあります.これが社会的な力になっていわゆるキリスト教国の繁栄の土台になったことは歴史の教えるとおりです.

 第3に,この繁栄のもとにナザレのイエスによって示された道があることを忘れて,与えられたものを当然とするところに今日のキリスト教国の内外の問題があります.それらと協力する日本も反省すべきです.うらやまれる富を他の人に与えてあわれみの状態で共に助け合う姿勢がないと全人類が滅びてしまうことを思い,聖書の真理をあらためて学びたく思います.