窓口で思うこと |
このような時間は勉強に向けるべきではなかろうか,と反省しつつも,ときどき近くの郵便局へ行きます.列で並んだり,長いすで待ったりする間に,杖をついて年金を受取りに来る老人や息をはずませて沢山の速達便を出す事務員などを見ていますと,世の中のいろいろな面がわかります.同時に,日本全国と海の彼方にある誌友との連絡が郵便によって行われていることを思い起します.昼の休みに振替口座に払込む勤め人や看護の人に便りを託す病友など,さまざまな姿が目の前に浮んできまして祈りへと導かれます. もうひとつ別の窓口があります.都心で印刷所から直接雑誌の発送に行くときです.大抵は家のものが行ってくれますが,わたくしが手伝うこともあります.大企業などのトラックがゆっくりバックして来て山のような郵便物の束が文字通り投げ込まれる窓口に立ちますと,聖書愛読がなんと小さいことでしょう.しかし,苦しい執筆や校正を経てとにかく雑誌ができ上ったよろこびに包まれながら,各地の誌友を思い,一冊一冊が無事に届けられるよう祈りながら送り出すさいわいはことばではいえません. 窓口もその彼方にひろがる郵政その他の組織もすべてこの世のものですし,そこにいろいろ問題もあります.問題は平和のうちに解決すべきですが,キリストの十字架ゆえにすべての罪を清められて新しい創造の世界に招かれるものには,すべての被造物を救いの御業のために用いることをゆるされているという福音の一面があります.そして神がこの救いを小さい民からはじめたもうたこと(申命7:7申命7:7 主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。(新共同訳) )は,大きなこの世の力に押されて苦しめられるものに最後の勝利を約束するものです. |