常に信じ愛しうるために

 ある結婚披露の席上若い二人に対して“互いに信じ合うこと,愛し合うこと”という訓戒的なスピーチをする人がありましたので,わたくしは次のようなコメントをしました――

 なるほどおっしゃるとおり信じ合うこと,愛し合うことは家庭生活の根本ですが,それについて問題があります.それは,信じえなくなったとき,愛しえなくなったときにどうするか,ということであり,さらに,自分が信じ,愛していると思っても,相手が信じられている,愛されていると思ってくれないときにどうするか,です.

 なにしろ全く違った家庭に育ち,学校で違ったことを学んだ二人ですし,なによりも男と女とは考え方や感じ方が違いますし,これからの生活で職場と家庭との受持ちの形も別ですから,常に信じ,愛することはなかなか難しいのです.

 それで,自らを信じ愛するものを救おうという神でなく,自らを信じない不敬虔のもの,自らを愛しないで敵対するものを救おうとし,人々が自分を信じ,また愛してくれるために,自らの子を地上につかわして,彼が流した犠牲の血によって人々を信じさせ,愛させるという新しい道が開かれたことに注目していただきたいのです.

 ちょうど宇宙中継によって地上の妨害をものともせずに美しい音や映像が伝えられるように,宇宙の創造主であり,信じ愛する力の根源である神を通して相手に接し,相手の中にある神の霊を信じまた愛するとき,人間的な行為や心情とは違った永遠の次元で二人は常に結ばれると思います.