
神の全能について |
創世記に書かれているように神が人間の先祖アダムを創造なさったならば,なぜ神はアダムが誘惑されて神にそむくのを前もっておとめにならなかったか,神は全能ではないか,という質問をしばしば受けます.これは聖書の創造物語をふつうの歴史のように読んで,創造の経緯を傍観者的に考えるまちがった姿勢のあらわれです. きびしい自然や残酷な強国の圧力に苦しみ,常に死の危険にさらされている人々の間に,すべての苦しみと死は人間の罪のゆえであることが把握され,義にいます神が人間を救いたもうという信仰が抱かれ,すべてが神によって創造されたと伝えられたのです. このように,創造物語は彼らの現実と直結していましたし,またそこに現代性もあります.今日のわれわれも神にそむき,罪を犯していますが,それゆえに神は全能でないのでしょうか.もっと善い人間になりたいと祈ってもその祈りが聞かれないのは,神が無力にいますからでしょうか. 神が全能か否かを人間の物差しで判断することはできませんが,罪のない神の子が人間のところにつかわされて,罪あるもののために苦しみ,十字架上に血を流してくださったがゆえにどんなに罪があっても救われるという恩恵を受けるものには,神がこのような自分を救うことがおできならば,すべてがおできの全能の神にいます,ということが示されます.このような角度から,はじめに万有が全能の神によって創造されたこと,神は人間に自由意志を与えられたがその自由を悪用してそむいた人間をあくまで救おうとなさることがわかると思います. |