
村八分とそのたぐい |
村で秩序を乱したものは村中から除けものにされていわゆる村八分ということになり,その村に住みにくくなってよそへ行くのが普通です.国外追放も形を変えた村八分です.宗教の破門もそのたぐいで,呪いや地獄のおどしが付着した恐ろしいものです. すべてのものを創造なさった神を信ずるものには,こんなことがあっていいのかという問題が提起されます.村八分とそのたぐいは一群の人間がその利益を守るために自分たちの物差しで欠陥ありと断定するものを葬り去ることです.伝染病患者を一時隔離して療養させ,回復後また自分たちのところに迎えるのとは違って,村八分は疎外されたものを無視する集団エゴイズムです. ナザレのイエスはエルサレム中心の宗教的政治的権力者から呪われたものと決めつけられた貧者,病者その他律法を守りえない弱者や律法を知らない異教徒を相手に,そのような人々を真っ先に救う神を示したのでした.イエスのところには当時の村八分の被害者が集まったといえます.彼のいう神の国はそうした人々の集団です.“わが父の家には住まいが多い”(ヨハ14:2ヨハ14:2 わが父の家には住まいが多い。そうでなければ、あなた方のところをそなえに行こう、といったろうか。 )という彼のことばはどんなものでも救おうとする父なる神の愛を示すものです. キリスト教会の諸問題は形式化した組織のエゴイズムによる面が多いのですが,門がなくて破門のしようがない無しの教会の有難味をあらためて考えましょう.エクレシアが村八分や破門にあったもののために救い主を中心に形成されてゆくことは,キリスト教発生当時も現代も変わりません.キリストによる新しい創造は全人類向けの福音として着々行われています. |