妨げの中の学び |
研究のことを思うにつけ,外からの妨げと自らの無力とが予定をおくらせているのに気づきます.このことは50年近く前に聖書にはじめて接して精神的に物ごころがつきはじめてから今日までつづいています.専門の道に進む際の障害や誘惑,留学の機会を与えられてから一年したころの戦争勃発,中立国のスイスでやっと研究が進みはじめたころの帰朝,母校での大学改革等管理運営の激務,宗教家たちとその仲間との応接,大学紛争の混乱等々外からの妨げがありました.そのたびに自らの無力を示され,追いつめられたところで苦しみながら研究をつづけてきたのでした.そして不思議なことに,苦境に陥ったときに,それまでわからなかった聖書の箇所がわかったり,思いがけない真理に接したりしまして,学問そのものへの関心も深まってきました.今も学ぶよろこびがこみ上げてきます. 苗を育てるには余計な枝や葉を切り落とし,根のところの土を踏み固めるとよいそうです.イエスはもっと徹底した形で,片手片足で命に入るほうが両手両足で永遠の火に投げこまれるよりはいい(マタ18:8マタ18:8 もし手か足があなたをつまずかせるなら、切って投げ捨てよ。片手片足でいのちに入るほうが両手両足で永遠の火に投げ込まれるよりはいい。 )といわれます.研究の形や量はあちこち欠陥があっても,命が自らにも自らに接する人にも与えられるならばそれがなによりです. さらに,苦しみながら研究をつづけますと,職場や家庭で苦しみながら聖書を学ぶ人たちと同じ平信徒の世界に生きることができ,建築家すなわち平信徒の救い主やテント作りの使徒に導かれる恩恵に浴することができます. 今まで与えられたものを感謝し,またこれからも新しいものが与えられるよう祈りつつ,静かな歩みをつづけたく思います. |