生理と倫理の一体性

 戦前にある先生が現代人に向かって不品行は医学的に有害であるといえばいちおう納得するが,倫理的あるいは信仰的にまちがっているといっても承知しない,といわれたのを覚えています.当時わたくしは聖書に親しみはじめていましたので,そのように生理と倫理とを分ける現代的な考え方に疑問ないし抵抗を感じました.聖書ばかりでなく,“病は気から”という諺にあらわれるような精神と肉体との不離の関係は古代から広く考えられていることです.

 この点でもイエスは最もすぐれた指導者で,安息日に神の愛を説いて病人をいやしたという記事が福音書にたびたびありますように,神との間の平安を与えて病人を健康に導いたのです.肉体的に苦しむ人を見て放っておけなかった彼はその苦しみの原因を精神の面で,すなわち神への罪として見てその原因を除こうとしたことがわかります.安息日にそのようないやしをしてはいけないという当時の宗教家と戦いつつ彼は罪あるものを救う神を示し,神意の実現のために自らを犠牲にしたのです.

 未成年の飲酒喫煙や非行その他を倫理的信仰的にだけ悪いというのでなく,医学的にも弊害を立証して,その害から自らのかけがえのない心身を守るようすすめましょう.それは人間の力ではできないがゆえに神に祈らねばならぬ,祈る資格がなくてもイエスの名による祈りはだれにもすることができる,というのが信仰的な姿勢ではありますまいか.福音による律法の完成を,広い意味での律法すなわち規律法律韻律自然律など律の字のつくもの,さらに学問全体を含めて考え直したく思います.