希望の中の前進

 本誌もそろそろ15年になります.足弱の私がよくもここまで歩みえたものと思います.誌友の祈りにこたえて上から恩恵が常に与えられたおかげです.昭和元禄が限界に来て不況の風が吹き,国際状勢も複雑化し世相も暗くなってきましたが,それだけに真理の光が明確化されると申しましょうか,われらの目が永遠の世界に向くよう導かれるのを覚えます.

 誌友からの応答も内容的に深いものが増してきました.反響の数は巻頭言から書斎だよりまでだいたい平均しています.誌友それぞれの状況に応じて耳には聞こえずとも筆者と対話がなされていると思います.前々号の“信仰と理性について”は少し理論が過ぎたかと思っていましただけに,病人をかかえる家庭の人から歓喜にあふれた肯定の便りに接して深く慰められました.福音書の研究をテクストにして小さな集いが各地に生まれているようです.“ひとり学ぶ友”が複数化するのは聖霊のはたらきであり,神の国の近さを示すものです.

 誌友が天に召されたことを知らされないまま雑誌が送られ,しばらくして遺族の方から連絡されたことも何度かありました.在天の霊の平安を祈りつつ相まみえる日を待っています.

パウロが病で弱ったときガラテアで説いた十字架の福音が人々をさいわいに導いたのでした(ガラ4:13以下ガラ4:13以下 13ご存じのとおり、はじめ福音をお伝えしたのはわたしの体が弱っていたためでした。14しかしあなた方はわたしの体について誘惑があったのに、いやしめず唾せず、神の使いのように、キリスト・イエスのようにわたしをお迎えでした。 ).同病相憐れむと申しますが,罪に悩むもの同士が救い主によって結ばれることは大きなさいわいです.これから先何が待っているかわかりませんが,今まで導いてくださった恩恵の主に頼りつつ天国への希望をもって進みたく思います.