真の出会い

 この世に生まれてきて与えられる喜びのひとつとして,人と出会って交わりをつづけるということがあります.しかし出会いには必要なものを手に入れるための売買など打算的な場合もあります.たいていそのような出会いは心が通いませんし,長続きもしません.

 また,たとえば学業とか仕事とか目的をもってひとつ場所に集まりますと,その目的を共する人と出会いまして,そこに交わりが続くのですが,それも目的が達せられると絶えるか,あるいは目的のためにやむをえず交わりを続けるという場合も少なくありません.交わりをやめると共倒れになるから,という仲間意識の至上命令に縛られての機械的人間関係がよく見られます.

 神の子との出会いは違います.人の生い立ちや性格によってその形はいろいろですが,難しい問題に行きづまって苦しみ,自らそれを解決することができず,他の人々からも見離されたとき,そして自らの弱さや罪が苦しみの原因であることがわかりますと,自分のために罪のない神の子が十字架について血を流してくださったことがわかります.

 このような出会いには,彼が復活して栄光を受けられたがゆえに自らも復活するというよろこびが加わります.そして同じような体験をした人々と出会う折もいつか与えられるものです.このよろこびはいつまでも絶えません.たとえこの世の生涯が終わっても罪と死が滅ぼされて神の子とともに永遠に生きるという希望がわいてきます.

 神の子のおかげで神にゆるされるというよろこびは人をゆるすよろこびとなりますので,苦しめられても忍び,苦しめるもののために祈ることもできます.真の出会いとは神の子との出会いにはじまり,神の子を中心に他の人々へと広まり深まるものです.